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最高裁判所第二小法廷 昭和33年(オ)538号 判決

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人遣水祐四郎の上告理由について。

第一点について。

論旨の一半は、被上告人の提出した退職願に対し任免権者である村教育委員会において退職承認の決議をなし爾後行政手続を進行させた以上(或いは承認決議を議事録に記載し固定化した以上)これにより依願免職処分はすでに成立したものと解すべきであるから、爾後退職願の撤回は許されないものと解すべきである旨主張するものである。

そこで考えてみるに、公務員の退職願の撤回がいつまで許されるかは、この点につき明文の規定を欠く現行法の下では、一般法理上の見地からこれを決定せざるを得ない。この見地から考えれば、退職願の提出者に対し、免職辞令の交付があり、免職処分が提出者に対する関係で有効に成立した後においては、もはや、これを撤回する余地がないと解すべきことは勿論であるが、その前においては、退職願は、それ自体で独立に法的意義を有する行為ではないから、これを撤回することは原則として自由であると解さざるを得ず、退職願の提出に対し任命権者の側で内部的に一定の手続がなされた時点以後絶対に撤回が許されないとする論旨の見解は、明文の規定のない現行法の下では、これをとることはできない。ただ、免職辞令の交付前において、無制限に撤回の自由が認められるとすれば、場合により、信義に反する退職願の撤回によつて、退職願の提出を前提として進められた爾後の手続がすべて徒労に帰し、個人の恣意により行政秩序が犠牲に供される結果となるので、免職辞令の交付前においても、退職願を撤回することが信義に反すると認められるような特段の事情がある場合には、その撤回は許されないものと解するのが相当である。本件において、原審の認定する事情によれば、退職願の提出は、被上告人の都合に基き進んでなされたものではなく五五才以上の者に勇退を求めるという任免権者の側の都合に基く勧告に応じてなされたものであり、撤回の動機も、五五才以上の者で残存者があることを聞き及んだことによるもので、あながちとがめ得ない性質のものである。しかも、撤回の意思表示は、右聞知後遅怠なく、かつ退職願の提出後一週間足らずの間になされており、その時には、すでに任免権者である村教育委員会において内部的に退職承認の決議がなされていたとはいえ、被上告人が退職願の提出前に右事情を知つていた形跡はないのみならず、任免権者の側で、本人の自由意思を尊重する建前から撤回の意思表示につき考慮し善処したとすれば、爾後の手続の進行による任免権者の側の不都合は十分避け得べき状況にあつたものと認められる。かような事情の下では、退職願を撤回することが信義に反すると認むべき特段の事情があるものとは解されないから、被上告人の退職願の撤回は、有効になされたものと解すべきである。

論旨の他の一半は、本件の退職願の撤回の申出は、口頭をもつて任免権者でない教育長に申し出られたものに過ぎないから、適法・有効な撤回があつたものと解すべきでない旨を主張するものである。

しかし、退職願の撤回の方式につき明文の規定のない現行法の下では、その撤回は、口頭でも差支ないものと解さざるを得ない。そして、教育長は「教育委員会の指揮監督を受け、教育委員会の処理するすべての教育事務をつかさどる」(旧教育委員会法五二条の三、地方教育行政の組織及び運営に関する法律一七条)職務権限を有するのであるから、教育長は、教育委員会の補助機関として退職願及びその撤回の意思表示を受領する権限を有するものと解すべきことは勿論である。従つて、本件において、撤回の意思表示が村教育長に対しなされた昭和二九年三月二六日に村教育委員会自体に撤回の意思表示がなされたのと同一の効果を生じたものと解すべきであるから、所論のように、本件撤回の意思表示が不適法・無効であるということはできない。

以上の理由により論旨はすべて採用し得ない。

第二点について。

論旨の一半は、依願免職処分の有効を前提として後任者の発令が予定されており、同処分を取り消し被上告人を従前の地位に復活させることは不可能である旨を云為するものであるが、右のような事実は原審で主張した形跡が認められないのみならず仮に所論のような事実があるとしても、それだけでただちに、依願免職処分の取消により被上告人の教員としての地位を復活させることが法律上不可能に帰するものとは解されず、所論のような事情は、本件依願免職処分を取り消すことの法律的障害となるものではない。

論旨の他の一半は、ひつきよう、退職願の提出に対し、任免権者の側で内部的手続を進行させた以上、爾後退職願の撤回は認めらるべきでない旨を主張するに帰し、その理由がないことは、すでに、論旨第一点に対する判断において述べたとおりである。

それ故所論は、すべて採用することができない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤田八郎 裁判官 池田克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)

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